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過去を未来につなげる大分のドイツ兵俘虜の墓

過去を未来につなげる大分のドイツ兵俘虜の墓

 第一次大戦時、大分収容所に収容されていたドイツ兵のユリウス・キーゼヴェッター氏が病死しました。ユリウス氏は敵国の捕虜ではありましたが、日本の兵士とともに大分市志手の桜が丘聖地に埋葬されました。母国に戻ることのできなかった兵士を埋葬したことは、時代を超えて世代に引き継がれ、今でも大分県や大分県遺族会連合会、志手の地元住民の方々らによって手厚く守られています。
 11月13日、100年の時を経てユリウス氏の遺族であるドイツ大使館付き武官カーステン・キーゼヴェッター大佐による墓参りが行われました。この墓参りのきっかけとなったのは、美術史学の研究者である本学文学部国際言語・文化学科の安松みゆき教授の論文でした。安松教授は、
大分収容所に収容されていた画家をとおして当時の収容所について「大分にあったドイツ人俘虜収容所」(芸術学論叢18/2009年3月発行)として論文にまとめており、ユリウス氏の墓について写真とともに取り上げていました。この論文が、海上自衛隊幹部学校の戦史統率研究室に所属している海上自衛隊一等海佐本名龍児氏の目に留まり、ユリウス氏の遺族であるカーステン・キーゼヴェッター大佐に伝わることとなりました。
 今回の訪問はドイツ大使館公式ドイツ兵墓参の行事して行われ、カーステン大佐、本名一佐らが桜が丘聖地を訪れました。カーステン大佐は、墓を守ってきた地元志手の自治会やまちづくりグループ「志豊会」の方々、大分県遺族会連合会の方々などと会い、公式墓参の実現と、墓を守ってきてもらったことに改めて感謝しました。この墓参は、ひとりの死者を弔うことに終わらず、大分の人々の人道的な行動を明らかにすることとなりました。
 日本語でスピーチする大佐.jpgのサムネイル画像公式訪問を記念し、墓地に
桜が植樹され、本大学大学院文化財学専攻の末光博史さんが若者代表として参加しました。植樹の挨拶で大佐は「樹を植えることは未来を信じること」と話されました。その言葉によって、遠い外国で捕虜として亡くなった悲しい出来事を、未来に向けて日本とドイツの交流につなげていくことを託されました。
 今回、安松教授は
大使館来県の行程検討における助言や来県者への学識経験者としての説明や通訳対応等のため墓参りに参加しました。本名氏によって、安松教授の論文に新たな意義を持つことになり、安松教授もこの縁に感動していると話していました。安松教授の論文には、大分収容所ではドイツ兵との文化的な交流があったことが示されており、今後、戦後史に埋もれた、大分とドイツとの新たな交流が見いだされるかもしれません。

写真提供:「志手歴史再発見クラブ橘会 浦田裕撮影」(写真上)

<論文>
安松みゆき「大分にあったドイツ人俘虜収容所」(芸術学論叢18/2009年3月発行)

http://repo.beppu-u.ac.jp/modules/xoonips/detail.php?id=gr01860
<動画>
「志手に眠るドイツ兵~100年後の墓参り」(志手・橘会制作)

https://www.youtube.com/watch?v=6BFZenSAcqw
Die in Shite geschlafenen Deutschen Soldaten(ドイツ語訳:安松みゆき)
https://www.youtube.com/watch?v=boV2CPo6oUU&t=12s
<関連記事>
大分に眠るドイツ海軍兵への墓参2」(海上自衛隊幹部学校HP

https://www.mod.go.jp/msdf/navcol/index.html?c=columns&id=180
「大分に眠るドイツ海軍兵への墓参」海上自衛隊幹部学校HP
https://www.mod.go.jp/msdf/navcol/index.html?c=columns&id=149
German's quest to retrace life of ancestor leads to Oita POW camp (The Asahi Shinbun)
http://www.asahi.com/sp/ajw/articles/13941474

 

[投稿日:2020年11月28日]